1949-10-15 第5回国会 参議院 地方行政委員会 閉会後第11号
岡田、鈴木の両委員は、福島縣廳、福島縣会議事堂、福島地方檢察廳等に赴き、又郡山市、平市、内郷町、湯本町等の各現地を視察し、各地において檢察側、警察側、地方自治体側、一般民間側その他関係者多数と面接し、左記資料の提出を受け、口頭による事情の説明を聽取し、又これらの人々との間に質疑應答を重ねて事態の闡明に努めた。」
岡田、鈴木の両委員は、福島縣廳、福島縣会議事堂、福島地方檢察廳等に赴き、又郡山市、平市、内郷町、湯本町等の各現地を視察し、各地において檢察側、警察側、地方自治体側、一般民間側その他関係者多数と面接し、左記資料の提出を受け、口頭による事情の説明を聽取し、又これらの人々との間に質疑應答を重ねて事態の闡明に努めた。」
その次には縣会議事堂に参りまして、デモ状態を調べたのでありますが、これはわれわれ調べるときには、すでにその痕跡がございませんので、ただ大竹議長が本考査委員会で証言したことを考えて、なるほどあの辺に赤旗があつたのかなという程度の事実より、われわれとしては看取することができませんでした。
開催日昭和二十四年六月二十五日、場所島根縣会議事堂、参加縣、島根、鳥取、山口の三縣、参加人員五十九人。 島根縣の意見大要を申し述べますと、一、定置漁業権の更新期を二十箇年にせよ。二、漁業権はすべて漁業法に織り込み、漁業協同組合優先に、河川漁業を共同漁業権に、漁業の調整費及び行政費は國庫負担に、漁業権の補償金は現金で支拂え、あるいは漁業権のあり方等について、強調したことは各縣と同じであります。
次に六月二十三日は鹿兒島市の鹿兒島縣会議事堂におきまして開催したのでありまするが、この調査先は、鹿兒島、熊本、宮崎の三縣でございました。当時御承知のように台風による風水害等の事故がございまして、出席委員はこの前より非常に少うございまして、私が一人でございました。
当班が担当いたしました調査区域、和歌山、奈良、三重、愛知、岐阜の五縣は、三重縣津市の縣会議事堂にて参加者九十六名をもつて現地側漁業者の意見を聞く懇談会をいたし、次に靜岡、神奈川、山梨の三縣は、靜岡市の縣正廳において参加者百十二名をもつて行い、次に東京、千葉、茨城、埼玉、群馬、栃木の六府縣は、千葉市の縣会議事堂で、参加者五十七名をもつて行い、福島、宮城、岩手の三縣は、宮城縣塩釜市の塩釜神社々務所において
又福島市におきましては、この六月三十日において平の事件発生と時を同じうして、そうして縣廳、或いは縣会議事堂を占拠して、いわゆる赤旗占拠事件となつて現われて來ているところのものであります。これを分けて見ますというと、市町村役場に対するところの鬪爭は内郷町と郡山市とに行われております。
一方議事堂前にスクラムを組んで労働歌を高唱しておりました大衆の人は、縣会議事堂の傍聴席に上つて、赤旗を垂下して、労働歌を歌つていたのであります。そしてその人方は、今申し上げましたように、ただ今日これを議決しろという要求であつた。
それは先頃の公安條例に対する東京都交通労働組合の反対運動の関係、並びに勤務時間改正に関する國鉄のストの問題、この問題については御報告を承わりましたが、その後平市におきまして些細なことから警察の占拠事件が起りまして、又それらに関連して郡山でも警察署に乱入した事件が起り、福島の縣会議事堂において示威運動まで行われたと、そういうような福島縣下における集團不法事件と申しますか、一部は騒擾事件になつたようであります
國鉄の職員がそれを聞きまして、縣会に対して何らかの圧力をかけるという意味を以ちまして、縣会議事堂に、数ははつきり分つておりませんが参りまして、丁度そこに外の目的でやつて参りました陳情團がおりまして、主食の掛け賣りを認めるようにということを陳情いたすために参つておりました陳情團と一緒になりまして、約百五十名ほどが議場の中に入りまして、いろいろ大きな声を出したりして、乱暴をいたしました。